口之津の「江戸のあいだ」を知りたいときの取扱説明書
島原の乱(1637〜38年)から、口之津が石炭の積出港になる明治11年(1878年)まで。
この間のことが分からなくて困ったとき、開いてください。
対象:南島原市(旧南高来郡)・口之津町に住む本人と家族、案内や授業をする人。
今すぐ危険なとき
山歩きや蔵の片付けでけがをした。具合が悪くなった。
→ 119番(救急・火事)
事件や事故に巻き込まれた。
→ 110番(警察)
この資料の相談先は、どれも急ぎの用には向きません。命に関わるときは、まず119番です。
まず一本電話するなら
口之津歴史民俗資料館(くちのつポートミュージアム)
0957-73-6773
開館:9時〜17時(入館は16時30分まで)
休館:毎週月曜日、12月29日〜1月3日
場所:本館は口之津港ターミナルビル2階(南島原市口之津町丙4358番地6)
口之津の歴史を扱う市の資料館です。第1・3・5章で相談先に挙げています。ほかの章の相談先が分からないときも、まず聞いてみてください。
1. 資料館で、南蛮船の次がいきなり石炭船になる
こんなとき
口之津歴史民俗資料館で、南蛮船の展示室から石炭積出しの展示室へ移った。
1582年の最後の南蛮船から、明治11年(1878年)までの間が分からない。
市はこの資料館のテーマを「中世・近現代」としています。江戸時代はもともと展示の中心ではありません。
知らないと損すること
入館料は本館と分館で共通です。でも、その日のうちだけ有効です。
分館(旧長崎税関口之津支署庁舎)は、本館から南東へ約1.5km離れています。
別の日に分館へ行くと、入館料がもう一度かかります。
入館料:一般200円、高校生150円、小中学生100円(本館・分館共通)。
今日できること
- 本館を見たら、同じ日に分館へ回る。チケットは捨てずに持っておく。
- 知りたいことを一行で紙に書いておく。たとえば「乱のあと、口之津には誰が住んだのか」。
- 受付で「江戸時代のことを詳しい人に聞けますか」と尋ねる。館長の解説を聞けることがあります(いつ聞けるかは未確認)。
- 聞いた話は、その場でメモする。「確かな話」と「言い伝え」を分けて書く。
相談先
口之津歴史民俗資料館 0957-73-6773
9時〜17時(入館16時30分まで)/月曜・12月29日〜1月3日休館
https://www.city.minamishimabara.lg.jp/kiji0031594/index.html
持っていくもの
- 入館料、聞きたいことのメモ、筆記用具
根拠
2. 「うちの先祖はどこから来たのか」を確かめたい
こんなとき
法事や墓じまいの席で、親族が言った。「うちの先祖は、乱のあとに◯◯から来た」。
本当かどうか確かめたい。でも、地元で記録が見つからない。
乱のあと、島原半島の南部はほとんど人がいなくなりました。幕府は1642年、九州の藩などに「移住者を出せ」と命じています。熊本藩から男女356人、牛馬11頭が移った記録もあります。
知らないと損すること
家にある古い紙を捨てると、手がかりが消えます。
2017年、南島原市教育委員会は、ある家から寄贈された文書の中に、寛永4年(1627年)の医薬書を見つけました。阿波(今の徳島)から来た人が、乱後の復興に関わった可能性を示す史料とされています。
手がかりは、家の中にあることがあります。
今日できること
- 親族の言い伝えを、そのまま書き留める。「誰が」「いつ」聞いた話かも書く。
- 墓石の文字を写真に撮る。読めない字はそのまま写す。
- 家の古い紙・巻物・箱を、まず捨てずに一か所に集める(第8章も読む)。
- 言い伝えの出身地が、熊本・萩・豊後高松・大村など、移住の記録に出てくる藩かどうか見てみる(第9章)。
相談先
南島原市教育委員会(市役所代表から担当につないでもらう)
市役所代表 0957-73-6600 受付時間:未確認
https://www.city.minamishimabara.lg.jp/
口之津図書館(郷土資料を探すとき) 0957-73-6777
持っていくもの
- 言い伝えのメモ、墓石の写真、家にある古い紙の写真
根拠
3. 烽火山の石組みが何なのか分からない
こんなとき
口之津の烽火山(ノロシ山)に登った。山頂の祠のまわりに、約5m×3mの石組みがある。
子どもに「これ何?」と聞かれて、答えられない。
研究論文によると、江戸時代の享保5年(1720年)ごろ、異国船を知らせる「のろし」のリレーがありました。天草の通詞島から口之津の烽火山へ。そこから島原方面へ。烽火山はその中継点だったと考えられています。
知らないと損すること
石組みの年代は、調べた人によって見方が分かれています。
1964年・1975年の調査報告は「古代(大宰府に関係するもの)」としました。
2022年の論文は「江戸時代・享保のころのもの」と推測しています。
どちらかに決めつけて人に話したり、紙に書いたりすると、誤りになるおそれがあります。
今日できること
- 石組みを写真に撮る。角度を変えて何枚か。
- 人に話すときは「古代という説と、江戸時代という説がある」と、両方を言う。
- 論文(下の根拠)を印刷して、地図で天草の通詞島の方向を確かめる。
- 資料館で「烽火山の調査報告書を見られますか」と聞く。
相談先
口之津歴史民俗資料館 0957-73-6773
9時〜17時(入館16時30分まで)/月曜・12月29日〜1月3日休館
持っていくもの
- 石組みの写真、論文の印刷
根拠
- 岡寺良「近世天草・島原の遠見番所と烽火台」(立命館大学)
- 鏡山・乙益・古田(1964)『長崎県口之津町烽火山調査報告』口之津町教育委員会(原本は未確認)
4. そうめんの由来を聞かれて迷う
こんなとき
直売所や贈り物の説明で、お客さんに聞かれた。「なぜ、ここでそうめんなの?」
「乱のあと、小豆島の職人が来た」と聞いている。でも、ほかの説もあるらしい。
知らないと損すること
農林水産省のページは、二つの説を両方とも「説」として載せています。
①乱後の移住のとき、小豆島の職人が来て広めた説。
②口之津が開港した1562年ごろ、中国の福州から伝わった説。
片方だけを「事実」として印刷物に載せると、根拠を聞かれたときに困ります。
今日できること
- 口で説明するときは「小豆島から、という説が知られています。福州から、という説もあります」と言う。
- チラシや箱の説明文を見直す。「〜と伝わる」「〜という説がある」と書いてあるか確かめる。
- 農林水産省のページを印刷して、店に置いておく。
相談先
南島原市 商工観光課 0957-73-6632
受付時間:未確認(番号は2019年の長崎県の広報資料で確認)
持っていくもの
- 今使っているチラシや商品の説明文
根拠
5. 天草から来た客に、天草と島原藩の関係を説明したい
こんなとき
天草の鬼池港からフェリーで来た団体を、口之津で案内する。
「口之津と天草はどうつながっていたの?」と聞かれる。手元にまとまった資料がない。
研究論文によると、享保5年(1720年)から文化9年(1812年)まで、天草全島が島原藩の「預かり」でした。海をはさんで、同じ藩が治めていた時代があります。
知らないと損すること
この「預かり」は、途中で一時的に外れた時期があります。
「約90年、ずっと島原藩だった」と言い切ると、誤りになります。
今日できること
- 島原藩の藩主の順番を紙に書いておく。松倉 → 高力 → 松平(深溝)→ 戸田 → 松平。
- その下に、天草側の流れを書く。天領 → 1720年から島原藩預かり(途中一時解除あり)→ 1812年まで。
- 説明では「1720年から1812年までのあいだ、島原藩が天草も預かっていた時期があった」と言う。
相談先
南島原ひまわり観光協会 0957-65-6333
受付時間:未確認
口之津歴史民俗資料館 0957-73-6773
持っていくもの
- 藩主の順番と天草の流れを書いた紙
根拠
6. 島原藩の記録を見に、島原図書館まで行く
こんなとき
口之津村や加津佐村が、藩からどう扱われていたか調べたい。
島原藩の殿様の家に伝わった「肥前島原松平文庫」は、南島原市ではなく、島原市の島原図書館にあります。
知らないと損すること
松平文庫の中心は、寛文9年(1669年)に島原へ来た殿様・松平忠房が集めた本です。
国立国会図書館は「国文学資料の宝庫」と紹介しています。
村の暮らしの記録を期待して行くと、目当ての資料に当たらないおそれがあります。
行く前に、目録で当たりをつけてください。
今日できること
- 『肥前島原松平文庫目録』(島原公民館、1961年)を、地元の図書館で探せるか聞く。
- 目録の中で「口之津」「加津佐」などの地名を探し、資料名をメモする。
- 島原図書館に行く前に、見たい資料を見られるか問い合わせる。
相談先
島原図書館(肥前島原松平文庫展示室)
場所:島原市城内一丁目1202
電話・受付時間:未確認
口之津図書館(目録探しの相談) 0957-73-6777
持っていくもの
- 目録から書き出した資料名のメモ、調べたいことを一行で書いた紙
根拠
7. 前に見た特別展の史料を、あとから確かめたい
こんなとき
授業や講座で「乱のあとの移住」を取り上げたい。
数年前の特別展で見た書状の名前を確かめたい。でも、会期が終わっていて分からない。
南島原市では、次の特別展がありました。
- 2017年:原城図書館(2月15日〜3月20日、史料25点)
- 2018年:口之津図書館(3月4日まで、史料26点。熊本・豊後高松・萩の各藩あての移住令の書状など)
知らないと損すること
どちらも、南島原市と西南学院大学博物館(福岡市)との連携・共催です。
史料の持ち主が市ではない可能性があります。
持ち主を確かめずに問い合わせると、回り道になります。
今日できること
- 新聞記事(下の根拠)を印刷して、史料の名前を書き出す。
- 口之津図書館に「2018年の特別展の展示目録や資料は残っていますか」と聞く。
- 史料の持ち主が分かったら、そちらに使い方を問い合わせる。
- 分かったことを「会期・会場・史料名・持ち主」の一行で記録しておく。
相談先
口之津図書館 0957-73-6777
10時〜18時(金曜は12時〜20時)
休館:毎週月曜日、毎月最終木曜日、12月29日〜1月3日、特別整理期間
場所:南島原市口之津町丙2092番地1
https://www.lib-minamishimabara.jp/libs/kuchinotsu/
持っていくもの
- 新聞記事の印刷、知りたい史料の名前のメモ
根拠
8. 実家の片付けで、読めない古い紙が出てきた
こんなとき
空き家になった親の家を片付けている。押し入れや蔵から、崩し字の和紙の束が出てきた。
読めない。価値が分からない。片付けの期限もある。
知らないと損すること
捨てた紙は、二度と戻りません。
南島原では、ある家から市の資料館に寄贈された文書の中から、1627年の医薬書が見つかりました。乱のあとの復興と移住を考える史料とされています。
順番は、①捨てない → ②市の教育委員会に見せる → ③それから片付けるです。処分業者に渡すのは最後です。
今日できること
- 古い紙・巻物・箱を、処分するものと分けて、一つの箱にまとめる。
- どこから出てきたか(押し入れ・蔵など)を書いた紙を、箱に入れる。
- 何枚か写真を撮る。表紙、文字のある面、印(はんこ)があればそこも。
- 処分業者に頼む前に、市役所に電話して教育委員会につないでもらう。
相談先
南島原市教育委員会(市役所代表から担当につないでもらう)
市役所代表 0957-73-6600 受付時間:未確認
持っていくもの
- 写真(スマートフォンでよい)、どこから出たかのメモ、片付けの期限
根拠
9. 移住の記録が、地元の図書館では見つからない
こんなとき
図書館の郷土資料の棚で、南島原の本は一通り見た。でも、移住のことが詳しく分からない。
移住の記録は、移り住んだ側ではなく、人を送り出した藩の側に残っていることがあります。熊本・萩・豊後高松・大村などです。
知らないと損すること
大村藩からは、許可なく移り住んだ「走(はしり)百姓」が1600人出ました。
大村藩は「領民を返せ」と訴えましたが、幕府は島原寄りの決定を下しました。
幕府の命令の文書だけを見ると、移住がすべて計画どおりだったように、一面的にまとめてしまいます。
送り出した側の困りごと(熊本藩は「迷惑」と記し、萩藩は牛の病気で人を出せなかった)も合わせて見てください。
今日できること
- 藩ごとに一行ずつ表を作る。「藩の名前/命令/人数/困りごと/その後」。
- 新聞記事(下の根拠)から分かることを、表に書き込む。
- 口之津図書館で「熊本藩・萩藩・大村藩の移住の史料を探したい」と相談する。県外の資料の探し方を聞く。
相談先
口之津図書館 0957-73-6777
10時〜18時(金曜は12時〜20時)/月曜・毎月最終木曜・12月29日〜1月3日・特別整理期間は休館
持っていくもの
- 藩ごとの表、新聞記事の印刷
根拠
いつ思い出すか(きっかけ別カレンダー)
こんなことがあったら、その章を開いてください。
| きっかけ | 開く章 |
|---|---|
| お盆・法事・墓じまいの相談 | 2. 先祖はどこから |
| 帰省して、実家や空き家を片付けるとき | 8. 古い紙が出てきた/2. 先祖はどこから |
| 夏の贈答シーズン(そうめんを売る・贈る) | 4. そうめんの由来 |
| 資料館へ行く日(月曜は休館) | 1. 資料館の空白 |
| 天草から客や団体が来るとき | 5. 天草と島原藩/1. 資料館の空白 |
| 週末に烽火山へ登るとき | 3. 烽火山の石組み |
| 授業や講座の準備をするとき | 7. 特別展の史料/9. 送り出した側の記録 |
| 郷土史を調べ始めたとき・深めたいとき | 6. 島原図書館/9. 送り出した側の記録 |
相談の前のチェック欄と相談メモ
電話や窓口で伝えること
- 知りたいことを一行で言える(例:「乱のあと、口之津には誰が住んだのか」)
- どの地区のことか(口之津・加津佐・南有馬など)
- どの時代のことか(乱の直後/江戸の中ごろ/明治の前 など)
- 手元にあるもの(言い伝え・写真・古い紙・新聞記事)
- それは「確かなこと」か「言い伝え」か
- 急ぎかどうか(片付けの期限など)
- 折り返しの連絡先
相談メモ
窓口の一覧
| 名称 | 電話 | 受付時間 | 場所 | URL |
|---|---|---|---|---|
| 口之津歴史民俗資料館 | 0957-73-6773 | 9時〜17時(入館16時30分まで) 月曜・12/29〜1/3休館 | 本館:南島原市口之津町丙4358番地6(口之津港ターミナルビル2階) 分館:口之津町甲16番地7 | 市公式 |
| 口之津図書館 | 0957-73-6777 | 10時〜18時(金曜12時〜20時) 月曜・毎月最終木曜・12/29〜1/3・特別整理期間は休館 | 南島原市口之津町丙2092番地1 | 市図書館 |
| 南島原市役所(代表) ※教育委員会へはここから | 0957-73-6600 | 未確認 | 南島原市西有家町里坊96番地2 | 市公式 |
| 南島原市 商工観光課 | 0957-73-6632 (2019年の県資料で確認) | 未確認 | 未確認 | ― |
| 南島原ひまわり観光協会 | 0957-65-6333 | 未確認 | 未確認 | ― |
| 島原図書館(肥前島原松平文庫) | 未確認 | 未確認 | 島原市城内一丁目1202 | ― |
課題の地図(この説明書の元になった9枚のカード)
この説明書の各章は、下のカード1枚ずつから作りました。
緑の線は本人、茶色の線は支える人の困りごとです。「(空欄)」は、根拠が見つからず埋めなかった欄です。
判定A:画面上の記録や比較で軽くなる。判定B:人や制度の手助けも要る。
口之津の資料館で、南蛮船の展示の次がいきなり石炭船になり、その間の約240年を知る手がかりがない
- 誰が
- 口之津歴史民俗資料館(くちのつポートミュージアム)を訪れた住民・来訪者
- 困るその瞬間
- 港ターミナル2階の資料館で、南蛮船来航の展示室から三池炭積出しの展示室へ移ったとき。1582年の最後の南蛮船寄港から明治11年(1878)の積出港指定までの間に何があったのか知りたくなった瞬間
- 手元にある情報
- 展示パネル(中世と近現代が中心)、入館券、観光パンフレット
- 欲しいもの
- その間に口之津で何が起きていたかを一枚で見られる年表
- 今のしのぎ方
- 名物館長の口頭解説を聞く。聞けなければ分からないまま次の展示へ進む
- 繰り返し
- 来館のたび(月曜休館以外は毎日起こり得る)
- 埋まらなかった欄
- (空欄)
- 落とし穴
- 入館料は本館・分館共通で当日のみ有効。分館(旧長崎税関口之津支署庁舎、本館から南東約1.5km)を別の日に回すと入館料がもう一度かかる
- 最初の相談先
- 口之津歴史民俗資料館 0957-73-6773
- 削られる豊かさ
- つながり
- アプリの型
- 見える化
- ひとこと案
- 「南蛮と石炭のあいだ」年表カード。分かっていること・言い伝え・未確認を色分けして並べる
- 既存ツール
- (空欄)
- 欲しがっている一人
- 天草からフェリーで来た、郷土史好きの60代の元教員
- なぜ気づかれなかったか
- (空欄)
「うちの先祖は乱の後にどこから来たのか」を確かめようとして、移住の記録が地元で見つからない
- 誰が
- 島原の乱後の移住者の子孫と伝わる南島原市の住民
- 困るその瞬間
- 法事や墓じまいの相談の席で、年長の親族から「先祖は乱の後に◯◯から来た」と聞き、本当か確かめたくなったとき
- 手元にある情報
- 家の言い伝え、墓石の刻銘、寺の過去帳(ある場合)
- 欲しいもの
- 1642年の幕府の移住令で、どの藩から何人来たかの一覧と、出身地ごとの手がかり
- 今のしのぎ方
- 家の言い伝えをそのまま受け継ぐ。年長の親族に聞く
- 繰り返し
- 盆・法事・墓じまいのたび
- 埋まらなかった欄
- (空欄)
- 落とし穴
- 家に残る古い紙を捨てると手がかりが消える。南島原市教育委員会は2017年、乱後に先祖が移住したと伝わる家から1981年に民俗資料館へ寄贈された文書の中から、寛永4年(1627)の医薬書を見つけ、阿波(徳島)からの移住者が復興に関わった可能性を示す史料とした
- 最初の相談先
- 南島原市教育委員会(市役所代表 0957-73-6600)
- 削られる豊かさ
- つながり・尊厳
- アプリの型
- 記録帳
- ひとこと案
- 「言い伝えメモ帳」。家の伝承・墓石の文字・寺の情報を書き留め、史料に出てくる送り出し藩(熊本・萩・豊後高松・大村など)と照らし合わせる
- 既存ツール
- (空欄)
- 欲しがっている一人
- 墓じまいを考え始めた、加津佐に住む50代の長男
- なぜ気づかれなかったか
- 移住は400年近く前のことで家ごとの言い伝えとしてしか残らず、まとまった展示は2018年の口之津図書館の特別展(3月4日まで)のような期間限定だったため
口之津の烽火山(ノロシ山)に登っても、山頂の石組みが何のためのものか分からない
- 誰が
- 口之津の住民、散策で山に登る人
- 困るその瞬間
- 山頂の祠を囲む約5m×3mの石組みを前にしたとき
- 手元にある情報
- 「烽火山」という山の名前と祠
- 欲しいもの
- 天草の通詞島から受けた烽火を島原方面へ送る中継点だった、という位置づけと地図
- 今のしのぎ方
- (空欄)
- 繰り返し
- 登るたび
- 埋まらなかった欄
- 今のしのぎ方
- 落とし穴
- 遺構の年代は報告によって分かれる。1964年・1975年の調査報告は古代大宰府関連とし、2022年の論文は位置と構造から享保5年(1720)設置の近世の烽火台と推測している。どちらかに断定して説明板や案内に書くと誤りになるおそれがある
- 最初の相談先
- 口之津歴史民俗資料館 0957-73-6773
- 削られる豊かさ
- つながり
- アプリの型
- 見える化
- ひとこと案
- 「烽火リレー地図」。牛深→魚貫崎→荒尾岳→富岡→通詞島→口之津→鳳上岳→島原の順に、文献で確かな区間と推定の区間を分けて示す
- 既存ツール
- 国立公文書館所蔵の天保国絵図(論文で番所の位置確認に使用)
- 欲しがっている一人
- 小学生の子どもと週末に烽火山へ登った、口之津に住む30代の父親
- なぜ気づかれなかったか
- 遠見番所や烽火台は考古遺跡としての認識が薄く、全国的にもほとんど手つかずだと研究者自身が書いているため
根拠
- 研究論文:岡寺良「近世天草・島原の遠見番所と烽火台」。享保5年に烽火場設置、通詞島から北東約9kmの口之津烽火山へ伝達。石組み約5m×3m。旧報告は古代大宰府関連とした 出典
- 報告書(未確認):鏡山・乙益・古田1964『長崎県口之津町烽火山調査報告』口之津町教育委員会(原本は未確認)
島原手延そうめんの由来を聞かれ、「小豆島から」と「福州から」のどちらを話せばよいか迷う
- 誰が
- 南島原市のそうめん製造者・販売者
- 困るその瞬間
- 直売所や贈答品の説明で、客から「なぜここでそうめんなのか」と聞かれたとき
- 手元にある情報
- 「乱の後に小豆島の職人が移り住んで広めた」という話
- 欲しいもの
- 二つの説と、それぞれ何を根拠にしているかを並べた表
- 今のしのぎ方
- よく知られた小豆島説を由来として話す
- 繰り返し
- 夏の贈答シーズンに毎年
- 埋まらなかった欄
- (空欄)
- 落とし穴
- 農林水産省の紹介ページは、小豆島からの職人移住説と、口之津開港期に福州から伝わった説の両方を「説」として併記している。片方だけを事実として印刷物に載せると根拠を問われる
- 最初の相談先
- 南島原市 商工観光課 0957-73-6632
- 削られる豊かさ
- 尊厳
- アプリの型
- 比較表
- ひとこと案
- 「由来の二説くらべ表」。説の中身・根拠・時期(乱後か南蛮期か)を横並びにする
- 既存ツール
- (空欄)
- 欲しがっている一人
- 西有家の須川で家族経営の製麺所を継いだ40代
- なぜ気づかれなかったか
- (空欄)
天草から来た客を口之津で案内するとき、天草が島原藩の預かりだった時代を説明する資料が手元にない
- 誰が
- 観光ガイド、口之津港で来訪者を迎える案内役
- 困るその瞬間
- 鬼池港からのフェリーで着いた天草の団体に、口之津と天草のつながりを話そうとしたとき
- 手元にある情報
- 自分の知識と市の観光パンフレット
- 欲しいもの
- 島原藩と天草の支配者の移り変わりを一枚にまとめた年表
- 今のしのぎ方
- (空欄)
- 繰り返し
- 団体案内のたび
- 埋まらなかった欄
- 今のしのぎ方
- 落とし穴
- 天草全島の島原藩預かりは享保5年(1720)から文化9年(1812)までだが、途中で一時的に解除された時期がある。「約90年ずっと島原藩だった」と言い切ると誤りになる
- 最初の相談先
- 南島原ひまわり観光協会 0957-65-6333
- 削られる豊かさ
- つながり
- アプリの型
- 見える化
- ひとこと案
- 「島原・天草 支配のうつりかわり帯グラフ」。松倉→高力→深溝松平→戸田→松平と、天草側の領主・代官・預かりを上下に並べる
- 既存ツール
- (空欄)
- 欲しがっている一人
- 天草からの団体をよく受け持つ、有馬の郷の70代のガイド
- なぜ気づかれなかったか
- 今は長崎県と熊本県に分かれ、市史・資料館・観光パンフが県ごとに作られるため、海をまたいだ一体の支配が語られにくいと私は見ている(構造からの見立てで、直接の根拠は未確認)
南島原の江戸期を調べる人が、島原藩の文庫を見るために島原市の島原図書館まで出向く
- 誰が
- 郷土史家、公民館講座の担当者、市の文化財担当
- 困るその瞬間
- 口之津村など半島南部の村が藩からどう扱われていたかを確かめたくなったとき
- 手元にある情報
- 『肥前島原松平文庫目録』(島原公民館、1961年)があるという情報
- 欲しいもの
- どの資料に口之津・加津佐など南部の村が出てくるかの見当
- 今のしのぎ方
- (空欄)
- 繰り返し
- 調べものをするたび
- 埋まらなかった欄
- 今のしのぎ方
- 落とし穴
- 肥前島原松平文庫は長崎県指定有形文化財で、中心は寛文9年(1669)に島原へ入った松平忠房の蒐集品。国立国会図書館は「国文学資料の宝庫」と紹介しており、村の暮らしの記録を期待して行くと目当ての資料に当たらないおそれがある
- 最初の相談先
- 島原図書館(肥前島原松平文庫展示室)※電話番号は公式ページで確認できず
- 削られる豊かさ
- 時間
- アプリの型
- 手順ナビ
- ひとこと案
- 「江戸期の口之津を調べる道順ナビ」。目録で当たりをつける→所蔵館を選ぶ→問い合わせる、の順に案内する
- 既存ツール
- 『肥前島原松平文庫目録』(1961)
- 欲しがっている一人
- 退職後に加津佐の郷土史をまとめ始めた、70代の元郵便局員
- なぜ気づかれなかったか
- 2006年の8町合併で南島原市ができたが、藩の文庫は旧城下の島原市側にあり、市境をまたいだ資料の案内がまとまりにくいため(案内の有無は未確認)
図書館の特別展で見た移住令の書状を、会期が終わった後にたどり直せない
- 誰が
- 学校の先生、図書館職員、郷土史講座の講師
- 困るその瞬間
- 授業や講座で「乱の後の移住」を扱おうとして、数年前の特別展に出ていた史料の名前を確かめたくなったとき
- 手元にある情報
- 新聞記事の記憶や切り抜き
- 欲しいもの
- 展示史料の名称と所蔵先の一覧
- 今のしのぎ方
- (空欄)
- 繰り返し
- 単元や講座を組むたび(年1回程度)
- 埋まらなかった欄
- 今のしのぎ方
- 落とし穴
- 2017年(原城図書館、2月15日〜3月20日)と2018年(口之津図書館、3月4日まで)の特別展は、南島原市と西南学院大学博物館の連携・共催。史料の所蔵先が市ではない可能性があり、確かめずに問い合わせると回り道になる
- 最初の相談先
- 口之津図書館 0957-73-6777
- 削られる豊かさ
- 時間
- アプリの型
- 記録帳
- ひとこと案
- 「特別展あとから帳」。過去の展示の会期・会場・主な史料・所蔵先を一行ずつ残す
- 既存ツール
- (空欄)
- 欲しがっている一人
- 南有馬の小学校で6年生の社会科を受け持つ30代の先生
- なぜ気づかれなかったか
- 展示は会期で終わり、後から参照できる図録や公開ページの有無が確認できないため、見逃した人には存在そのものが伝わらない(公開ページの有無は未確認)
空き家になった実家を片付けていて、読めない和紙の束を価値が分からないまま捨てそうになる
- 誰が
- 親の家を片付ける子ども世代
- 困るその瞬間
- 南島原の実家の押し入れや蔵から、崩し字の文書の束が出てきたとき
- 手元にある情報
- 読めない文書、片付けの期限
- 欲しいもの
- 捨てる前にどこへ見せればいいかの一言
- 今のしのぎ方
- (空欄)
- 繰り返し
- 空き家の片付けのたび(一軒あたり一度きり)
- 埋まらなかった欄
- 今のしのぎ方
- 落とし穴
- 捨てた紙は戻らない。南島原では家に伝わった文書から1627年の医薬書が見つかり、乱後の復興と移住を考える史料とされた。処分業者に渡す前に、市教育委員会へ見せる順番を守る
- 最初の相談先
- 南島原市教育委員会(市役所代表 0957-73-6600)
- 削られる豊かさ
- つながり・尊厳
- アプリの型
- チェックリスト
- ひとこと案
- 「捨てる前の古い紙チェック」。和紙か・墨書きか・印があるか・地名が読めるか、で見せるべきかを判定する
- 既存ツール
- (空欄)
- 欲しがっている一人
- 福岡から週末に南有馬の実家を片付けに通う50代の長女
- なぜ気づかれなかったか
- 家の古文書は持ち主自身にも中身が読めず、「古い紙」として扱われるため、価値に気づく機会がない
根拠
- 報道:移住したと伝わる家の文書が1981年に市民俗資料館へ寄贈され、2017年に市教委が乱後の史料として発表 出典
乱後の移住を調べると、記録が熊本・萩・大村など「送り出した側」に残っていて、地元の図書館では探しきれない
- 誰が
- 郷土史講座の講師、移住の歴史をまとめたい市民グループ
- 困るその瞬間
- 地元図書館の郷土資料棚で南島原関係の本を一通り見終えたあと
- 手元にある情報
- 地元の郷土誌と新聞記事
- 欲しいもの
- 他県のどの機関に、どの藩の移住関係の文書があるかの所在一覧
- 今のしのぎ方
- (空欄)
- 繰り返し
- 調べを深めるたび
- 埋まらなかった欄
- 今のしのぎ方
- 落とし穴
- 大村藩からは1600人の「走百姓」(無許可の移住者)が出て、返還を求める大村藩の訴えに幕府は島原寄りの決定を下した。幕府の命令側の文書だけを見ると、移住がすべて計画どおりだったように一面的にまとめてしまう
- 最初の相談先
- 口之津図書館 0957-73-6777
- 削られる豊かさ
- 時間
- アプリの型
- 比較表
- ひとこと案
- 「移住史料の所在マップ表」。送り出し藩ごとに、命令・人数・苦情・その後を並べ、所蔵機関を添える
- 既存ツール
- (空欄)
- 欲しがっている一人
- 公民館で郷土史講座を受け持つ、60代の元高校教師
- なぜ気づかれなかったか
- 移住令の宛先や走百姓の返還訴えは送り出した藩の文書として残るため、地元を熱心に探す人ほど見つけにくい
根拠
- 報道:熊本・豊後高松・萩藩宛ての移住令書簡、熊本藩の「迷惑」、萩藩の牛疫、大村藩の走百姓1600人と幕府の裁定 出典
この資料について
この資料は、AI(Claude)が公開されている情報を調べて整理したものです。前半が暮らしの取扱説明書、後半がその元になった課題の地図です。
確認日:2026年10月16日
電話番号・時間・料金は、市などの公式ページで確かめたものだけを書きました。確かめられなかったところは「未確認」としています。
歴史の説明は、研究論文と新聞記事にもとづいています。説が分かれているところは、両方を書きました。
開館日や料金は変わることがあります。出かける前や、大事なことを決める前には、公式ページか窓口で確かめてください。